「うつ病を治して、2度とならないように心のトレーニングをしよう!」そう決心したのは、うつ病の診断が出てから3か月後くらいからです。その頃から、思考についてあれこれ考えるようになり、後に居心地の悪い感情を見つけては手放してきました。今もなお続けている、心が軽くなる4つの習慣について紹介します。
人前に出ても大丈夫そうと感じ、大型スーパーへ家族と出かけました。同時期にブログで、重度認知症の母の介護の様子や心模様の発信を始めました。やっと何かを始めようかという気が起ってきたのがこの頃です。(うつ病診断から休職までの経緯は、こちら)。
一区切りの3か月で、職場から今後どうするか問われました。でも、今の状態でまた忙しい生活の中に戻るのは、うつ病が悪化することが目に見えていましたので、お休みをいただくことにしました。7か月後の年度末、退職の道を選びました。まだ心の中に恐れや不安がたっぷりあり、また、「~しなければならない」という強迫観念がいくつもあることに気がついていたので、これをなんとかしてからでなければ、復帰は無理だと思ったのです。
苦しみの原因を作るのは、自分の思考?!
今、自分が何を考えているか?時々立ち止まって、頭の中をのぞいてみてください。「次はこれをしよう」「あれは、まずかったかな」「こう考えればうまくいくだろう」・・・などと、四六時中、思考が止まらない状態ではありませんか?
わたしはうつ真っ最中の時には、「過去の後悔」「罪悪感」「自分への審判」「人への非難」「将来への絶望感」など過去の憂いと未来の心配で、頭の中は埋め尽くされていました。自らを追い詰めているのは、人ではなく自分の思考のおしゃべりのよう。自分を責めているのは自分の想像(妄想)であり、そうならば、人はどう思っているか本当はわからないのではないか?と思えてきました。
思考に意識を向けるようになって、しばらくのことでした。この瞬間のことは、とても鮮明に覚えています。
夜、家から車で15分の実家に向かっている時でした。ある幼稚園の前の交差点を左折して間もなく、「探し物のこと・これから行く実家の母のこと・娘の明日の準備・家に帰ってからすること」と、4つのことをほぼ同時に考えていたことに気がつきました。車の運転中なのに、何でこんないろいろなことに想いを巡らせているのだろう、と呆れました。(この呆れていることさえ、思考ですから・・・)
それだけ優秀だからこそ、ひとたび自分に矛先が向かうと、徹底的に自分を痛めてしまうのだなぁ~と思えました。
頭の中のおしゃべりに気づくことは、わたしのうつ病克服の大きな鍵となりました。自分の妄想なのだとしたら、人を変えようとしないで、自分の思いが変わればうまくいくかもしれないという救いが見えましたから。
思考のおしゃべりとの3つの付き合い方
過去の失敗のシュミレーション、反省、うまくいったことを思い出してほくそ笑む、先の予定、準備すること・・・など、過去のこと未来のことばかりを考えていて、目の前のことに意識を向け、感覚を楽しむことがおざなりになっている状態が少なく見積もっても95%くらい?というのがわたしの状態でした。
なんで思考がこんなにおしゃべりをしたくなるのか?それは、目まぐるしく考えていないと不安だったからでした。過去の反省を将来に生かすのは、全然変なことじゃない。普通の感覚であって、当たり前って思いますよね。ところが、年がら年中頭の中で、さまざまなことを考えている時は、今・この瞬間の感情・感覚に集中していない状態であって、頭の中の思いを巡らす世界に生きてることになります。
これはわたしが望んでいたことではない!過去や未来の中に生きるのではなく、今に生きていたい。そう思うようになったのは、もうしばらく後のことになります。まだ、思考のおしゃべりに気がついた頃は、このあちらこちらに飛び交うおしゃべりをいかにして静まらせるか?ということでした。日常生活をうまく回らせるための方法を考えていることが主ではあったものの、ふと、過去のことを思い出して落ち込んだり、先のことを考えて憂いたりするのは、気持ちがよいものではなかったですから。
(1)思考のおしゃべりをストップさせる
その一歩として、まずは頻繁に「今わたし何を考えている?」と意識を向け、おしゃべりに気がついてストップをかけることを心がけました。ただ、そう意識しているにもかかわらず、なかなか気づけないものでしたが。
(2)思考のおしゃべりを流す
次に、禅の本に書いてあった「思考を流す」ことにチャレンジしました。ああ、わたし、こんなことを考えているんだな~と思考をただ眺めて流す方法で、流せば捉われずに消えると書かれていました。ところがうつの頃は、捉われないで流すことがむずかしいことでした。
(3)ネガティブな思考をキャンセルする
最後に知った方法は、ネガティブな思考に気がついたときに「キャンセル」すれば、キャンセルできるというアイディアです。キャンセル後は、ポジティブな想いに書き換えて宣言しようというものでした。例えば、「用事に遅れないように、起きられるだろうか」という不安がわいたら、「キャンセル、キャンセル」とその考えを取り消し、「明日は、しっかり起きられる」と思い込む(書き換える)という感じです。
上記の3つの方法はどれも、「今、何を考えているのか」と自分の思考に注意を向けることが前提です。思考と付き合うのは、どの方法がいいのか?わたしは、止めても、流しても、書き換えても、どれでもいいと思っています。なによりも、思考のおしゃべりに気がつくことが第一。
今でも、この思考のおしゃべりとは向き合っていますが、以前と違うのは、明らかにその量が減ったことです。また、思考の内容もずいぶん様変わりしました。恐れや不安、後悔は減りましたが、ただストップさせたり、流したり、キャンセルしてもまた現れてしまうのでした。
心の内を洗い出す~プロローグ
なぜそうなるのか。心の中に湧いてきた恐れや不安、過去のトラウマと向き合うことが必要なことには気がついていました。また、内観の本を読み自分の内を探っているうちに「努力をしなければ、認められない」という価値観に捉われていることに気がつきました。
ゆっくり休んだ甲斐もあり、パワーが湧いてきたので克服にチャレンジしようと思いましたが、自分一人では心が折れそうになりました。そこで、ネットで「心の道場」のようなところを探していました。「1週間、個室で自分の過去や心の内と向き合う」というものがあり心が動きましたが、継続してやっていきたいという思いがありました。心の洗い出しを日記という形で残せることができる上に、コメントのやり取りもできる、ネット上で24時間好きな時に学べるニチメコ(以下、ハイゼミ)を選びました。
多くの課題の中から、『被害者意識のピラミッド』という課題に目が留まりました。それは、自分の被害者意識が形成された経過をあらわにするものでした。その頃、わたしが一番関係を崩していたのは、父でした。父は、とても被害者意識が強い人と認識していたことと、わたし自身も父から受けたと感じていた被害者意識があったので、紐解いてみようとすぐにチャレンジしました。
当時のハイゼミの日記(4日目)を転載します。
<2009年12月4日>
被害者意識のHRを拝見(お聞き)しました。感想は、そちらのスレッドに書いてきたので省きますが、いっぱい思い出したことがあるので、紙にメモしました。そして、1つだけピラミッドを作ってみました。
《小さい頃言われたことで傷ついたこと》(すべて、父)
「オールAが取れたのは、お父さんのPTA点が入っているからだ。」
「M子(すぐ下の妹)は頭がいい。すずかは努力の子だ。」
「すずかの作文は、簡単だよな。『〇〇しました。次に〇〇しました。よかったです。』だもんな。」
《初期段階》
わたしは、生まれつき頭が悪いんだ。自信がない。
《第二段階》・・なぜ?
先生は、わたしの成績を加工してまで、父に取り繕うの?(不信感)
父がPTAをやっていなければ、正当な評価をもらえたのに。
→その後、学校から父への手紙は、届けない・・という行動に出た。
《第三段階》・・反発
父も母もすぐ下の妹も頭がよくて、わたしが頭が悪いのは、わたしのせいじゃない。こう産んだからじゃない!
もう、言いなりにならない!
そして、親が嫌がると思った就職試験を勝手に受ける。
《第四段階》・・自分を守る鎧を着る
努力をすればそれなりにできるし、認められる。
努力していることを人には見せなければ、頭がいいと思われる。
弱音を吐かない。
自分のことは、自分で決める。指図は受けない。
こんなピラミッドができました。(;;)
わたしが今一番関係を崩しているのは父。父に対しては、激しく被害者意識が働いてしまいます。あなたがこんな自信のないわたしを作ったのよ~!と。 一方で、「これを引き寄せたのは、父のように見えるが自分である」という真理は、自分の心に馴染むのでそうなんだと思っています。
片方は、「父のせい!」と叫び、もう片方は、「自分の成長のために自分が引き寄せたのよ。」と言う。2人のわたしが正反対のことを言っているのを客観的に見ているわたしっていったい何??書きながら混乱してきました。(--???
このような感じで、自分の心の内を毎日のように見つめて、引っかかっているものを洗い出しはじめました。それらをまとめてみると、<自己不信><無力感><孤独感><強力な思い込み>などが心に巣くっていることがわかりました。
「感情を感じて手放す」習慣づけで心のお荷物を軽くする
わたしたちの体験しているこの世界は、2元性の性質を持っています。
喜びと悲しみ 幸せと不幸 善と悪 健康と病気 ・・・
これらは、全く逆の性質を持っているかのようですが、相対する二つの性質は、変換できる性質があるようです。次の4つの習慣は、わたしがうつ病を克服した今もなお取り組んでいる方法です。
習慣1 思考のおしゃべりを捉える
無意識でいると、人はネガティブな感情に引っ張られる傾向にあります。テレビで流れているニュースは、不安を感じる内容が多いです。無意識でいると、その不安を増大させる方向に思考は向かいます。ネガティブ感情を見つけたら、「よし!変換のチャンス!!」と喜んでしまうようにしました。(笑)
人間だから、いろいろな感情が出て当たり前。人間だから・・・と切り離すことができたら、感情=わたしではなく、わたし=感情を感じる存在と自分と感情を切り離して見られていることになる習慣づけでもありました。
習慣2 ネガティブ感情を手放す
ネガティブな感情が好きな人は、あまりいませんよね。できればそこから早く離れたい、と思うでしょう。見つけたネガティブ感情は、手放すことにより次第に現れなくなってきました。また現れても性質が変わっていたりしました。
手放す方法は、紙に換え地球のマグマで燃やしたり、まっ黒団子に丸めて宇宙の果てに投げたり、清流に笹舟にして流したり。音や匂いなど五感を使ったイメージが効果的とのこと。いろいろ試した末、今は、傍にいつもいると感じている聖霊さんに、布状にしてたたんで手渡イメージをしています。
見返してやりたい!と怒りの感情がかなり強く現れたこともありました。こんなことを感じている自分って・・・と自己嫌悪に陥らず、その気持ちに素直に従うのがコツだと感じています。
習慣3 どうありたいか?思い描く
手放したネガティブ感情と相対する、こうありたい!という感情を思い描きました。孤独感を手放したら、心から信頼し合っている人と湖のほとりで笑顔で語り合っているイメージをしたり、大勢の人と笑顔で楽しんでいる光景を思い描いたり、自分のありたい姿などを思い描き、感情に浸り1人にんまりするのもいいでしょう。
感情が浮かびあがってこないなど違和感を感じたときは、もっと望むものがないだろうかを探ってみました。
習慣4 あきらめないでやり続ける
一度手放した感情でも、違う出来事でまた似た感情を味わう場面が出てきました。手放せていなかった・・・と何度もがっかりした経験があります。それでも、あきらめずに出てきた感情を手放し続けると同じシチュエーションでも全く違う感情がわき上がっているのを発見したりしました。また、過去の嫌な出来事たっだという記憶はあっても、そこに付随した感情が今この場で再現できないということがあります。そんなときは、うまくいっているサイン!と喜んだりしています。
感情=心=胸の辺りと感じていたので、感情に敏感になるには、胸の辺りにできるだけ意識を置くことをを心がけました。胸に手を当てるのも、有効な方法でしょう。
強力な感情が出てきたときは、この方法と並行して価値観の洗い出しをしました。そこで出てきた価値観や見つけたトラウマに対しては、時間がまとまってできた時にその解放に取り組みました。その方法は、また別の機会にお伝えします。