「スピリチュアルな人になりたい」そんなふうに思ったことがありますか?その願いにはいろんな動機やきっかけがあると思います。それとは逆にスピリチュアルが嫌いな人もいるかもしれません。それもいろんなきっかけがあったかと思います。あなたは、スピリチュアルな人やスピリチュアルと聞いてどんなイメージを持ちますか?
崇高で神聖なイメージ
人生訓や願望実現
見えないものを感じる事やヒーリングなどの能力
神様や天使、パワースポット、パワーストーン…いろいろ出てきますね。
そのために、瞑想したり能力開発にいそしんだり、様々なパワーグッズを集めたり、パワースポットを行巡ったり、本をたくさん読んだりしたでしょうか。好きな分野なのでそれはとても楽しいことですよね。一方でスピリチュアルが嫌いな人は、それが他力本願や現実逃避に見えていやだと感じているのかもしれません。
スピリチュアルとは、なんなんでしょうか?一体どこへ向かってるんでしょうか。
罠になる意識
依存と怠惰
その昔は精神世界と言われていた分野。怪しいと見られる傾向があった時代からするとかなり一般的になってきました。スピリチュアルリーダーと呼ばれる方が尊敬を集めることも珍しくありません。確かに先達に学ぶのは大切なことですね。
そうした方の本を読んだりセミナーなどがあれば欠かさずに行ったりしてるかもしれません。知識も十分にあり納得もしています。では、それを実践しているでしょうか。有名なスピリチュアルリーダーについていることで安心したり、知識があることで出来ているように錯覚してしまうことってないでしょうか。
例えば車の運転も、どんなに高度なテクニックを学んで頭に叩き込んでも、いざ運転してみたところでうまくいかないのは、容易に察しがつきますね。やはり実際に運転をして腕を磨いていくことでしょう。
また、過去や未来への依存はどうでしょうか。例えば、過去生を知る機会があり、それも、すごい人だったとします。今の自分を受け入れずに過去の自分に逃避していることはないでしょうか。
大事なのは、誰だったかではなく、何を体験してそこから何を学べたか、それをどう活かしていくかですよね。
「わたしは、名門大学卒業です」とか、「一流企業で働いています」と言う人がいて、その人の今の生活や態度がどうも尊敬できないものであれば、とても滑稽なことです。
今の自分が自分であるのには理由があるはずです。その今の自分を正直に見るのは、時に勇気がいることかもしれません。でも現在地がきちんと把握できていなければ、地図で目的地を見つけることができたとしても、どう進んだらいいか分からないですものね。
また、未来においては、アセンションが救いと感じている方がいますか。「アセンションすれば幸せになれる」とばかり、今をおろそかにしたり、外から何かが起きてくれると思っているかもしれません
外側は内側の反映ということは随分と知られてきました。ということは、内側が変わらなければ、外に起こることも変わらないですよね。アセンションも同じです。外から自動的に起こるものではなく、自分で創り出していくものなんです。
優劣意識
「スピリチュアルなことを学んでいる自分は他の人とは違う」と思ってしまうことがあるでしょうか。それだけの努力もしてきたかもしれません。
例えば、「あの人は、分かっていないけど、私は、分かっている」とか、スピリチュアルに神聖さを求めて、穢れたものを「排除」している人がいますか。あの食べ物はいいけれど、この食べ物はダメ、性の話はご法度!などのようにして、そうしない人を蔑視してしまったりしてないでしょうか。
一方で、その高い基準から自分を責めすぎて懺悔三昧な毎日になっちゃってるかもしれません。いつまでたっても自分にOKを出せない状態に苦しむことになります。
光だけを見て闇をみない。この世界は、二元性、熱いと冷たい、高いと冷たい、などのように両極のバランスで成り立っていますので、どちらかを否定すればどちらも成り立たなくなります。また、どちらかに極端に力を注ぐことでもう一方も色濃くでてきます。
わたしの体験ですが、カフェインを避けようとコーヒー禁止!と決意したとたん、コーヒーのギフトをもらうってことがよくありました。自分の体に合わせてバランスをとる思いではなく、カフェインを否定したエネルギーだったんですね。排除ではなく受け入れる、清濁併せ呑むと結構イケるかもしれませんよ。
また、オーラをみたり、予知をしたり、天使とお話しすることに憧れを感じますか?すでにそうした能力が開かれているかもしれません。
そのことでより人生が充実したものとなったり、楽しさがが増えていきそうですね。でも、それが他の人と比べた優越感になっているとしたらどうでしょうか。今の社会にある意識と一緒ではないでしょうか?スピリチュアルだから別と考えるのは、トリックかもしれませんよ。
逆にそれができないと思うときには劣等感が出ることもあります。メディアでは、霊感がある人とか超能力がある人をとても華やかにもてはやし高めますもんね。だって、そうした方が経済効果も高まりますから…。
結構そこのところに細工がしてあったりするんです。一概にインチキということではなくて、そういう人の方が優れているとか偉いとか「特別な存在」と思わせているということです。本来潜在的な能力を持っていない人はいないです。根源が一緒でみんなつながっているからです。
もし、できない自分に落ち込んだ時は、特定の能力にこだわらず、自分の個性が能力と思ってみてはいかがですか。外の評判に合わせるのではなく自分の内側に問うんです。自分を知るんです。それこそが進む道です。知識を得るにも、瞑想するにしても、能力開発をするにしても、何に取り組むにしても、大切なのは本来の自分を知ること、自己信頼へのあり方です。
スピリチャルとは、霊性と人間科学
スピリチュアルとは、自分を知るための人間科学であり、また霊性のこと言えるかもしれません。では、その霊性を示すものとはなんでしょうか?それは、大きな自己との統合です。大いなる自己とは、ところによりさまざまな言い方があると思いますが、命の根源とも言えるかもしれません。
では、どうしたら統合していけるのでしょうか?ひとつには、エゴやカルマを解放していくことにあります。自分そのものと思ってきたエゴに気づいて手放していくんです。そのために日々自分の感情や思考に責任をもって、ネガティブと思うものをいったん受け入れてからポジティブなもの、望むものに転換していきます。
「解放」と「排除」が違うのは、解放は、まず受け止め肯定してから新たに選択するのに対し、排除は否定して見ようとしないことです。
そうしてひとつひとつを選択していくことでやがて一つに統合されていきます。すると、元のひとつのエネルギーである根源に戻ります。
ここで、エネルギーの遊びを載せてみますね。すごくやだなぁと思う感情を自分の前にイメージして両手でボールを持つようにして感じてみます。冷たい感じがしますか?重い感じがするでしょうか?
そして、一旦、そのボールをそこに置いておきます。そして新たにとってもハッピーだったときの感情を同じようにしてボールにします。どうですか、あったかい感じがしますか、柔らかい感じですか?
今度は、その二つのボールを片手ずつ持ちます。その違いを感じてみてください。そして、この違いと感じていた観念を手放しますと意図してそれを手の中で合わせます。そうするとそれらが統合して感覚的には消えちゃうように感じたりします。
このプチ統合がその先にある全体の統合がどんなものかを知る助けになります。
もっと正確にいうとパワーアップして戻ります。二元性を体験してきた理由がここにあるようです。
日常の中での地味~なこの実践。決して現実逃避でも、楽~に、簡単に○○できることでも、誰かよりも特別なことでもないんですね。
そうして実践を重ねることで意識が上がると、だんだん楽になってきます。いやなことが起こりませんように…と外から何かが起こるかのようにビクビクして被害者になることなく、何が起きてもしっかり向き合って取り組める自己信頼が強まっていきます。
パワースポットに行った時の荘厳さや厳粛な感じ、清々しさも格別です。わたしもいろんなとこ行きたいなぁと思います。もし、そこに行けなかったとしても、目の前にある当たり前なことの中に、自分の課題や答えがあります。それを映し出している自分の内側に答えがあることに気づくよう意識を広げていくことがより大切に思えます。
結局は、何を選んでもいいんです。遠回りでもいい、道草食って発見することもあります。自由意思もこの世界の仕組みです。
ただ自分がそれを意識的に選んでいるか、責任をもっているかの認識が大事だと思います。流れに乗るのと流されるのとは違うということです。
軸がブレてきたと感じたら
スピリチュアルとは、人間科学であり霊性、自己との統合であり、それには特別なことではなく、日々の実践が大事なのだということをお伝えしました。
最後にワンポイントアドバイス。自分がブレてるように感じたら、ハートを開くようにします。不安や迷いが出た時もそうです。今ここにある幸せを感じて自分の内側と外側に広げてみてくださいね。
統合へ、そしてその先は無限に続いていく壮大な旅です。それを知りたいですか?そして、一緒にこの旅をしませんか?
ありがとうございました~、ではまた(^-^)♪