執着とは、ひとつのことに心がとらわれてしまいそこから心が離れられなくなることをいいます。今、私が自分自身の中に感じている執着は『親』に対する執着です。両親が高齢になり、まず最初に母親の歩行が困難になったことをキッカケに私は「介護」という生活スタイルを選択しました。
私が今感じていることは、介護の体験は時間の経過と共に、親の心配と自分自身のこれからの不安が増すという実感。そしてそれがいつの頃からか親への執着となっていることに気づき始めました。
今日はこの体験を通して浮かびあがってきた執着を手放し軽やかに自由に生きる2つのポイントとその具体的な方法を見つけてみました。
*執着を手放す方法:介護編*
1・両親から時々離れることを許す
私と両親の関係には、親は子の面倒を見る。子どもの世話をするのが親の役目だという強力な固定観念(あたりまえ)がありました。そのおかげで私は何不自由なく成長することができました。
しかし、その長年の生活の中で培われた「親だから子どもの面倒をみる」という意識は、親自身の身体が不自由になりサポートがなければ生活できないようになってもなお生き続け、自分のことを棚にあげ、介助している私(子ども)に対して「こうしろあ~しろ」と指示をすることをやめられない状態がしばらく続きました。
そんな中で私は、自分の思い通りに行かないはがゆさをイヤというほど体験しました。今でもまだ体験します(笑)高齢の私の両親は、自分のペースを人と協調して暮らすために変えるということは、なかなかできません。生活にこだわりがある人ならなおさらのこと、食事の時間、片付けの方法、その動きに至る生活の中での細かいこだわりがあるものです。
私は、そんな両親の行動を頭では理解しようと努力しましたが、受け入れるのはとてもたいへんなことでしたし、それは今でも完全になくなったわけではありません。両親の生活スタイルをまるごと受け入れ、そこに私(子ども)が入ってサポート生活をしていくためには、まず、サポートの必要となっている両親をじっくり観察してみることが大切です。
「介護」という言葉にとらわれて、すべてのことを私がサポートしてあげなければいけない。と背負い込むのではなく、時間がかかってもできること、少し手伝えばできること、それが必ずあることがわかってきます。
サポートが必要になってきた両親に対してまずやるべきことは、私の場合、両親の生活をよく観察することでした。なかなか根気のいることですので、介護保険のサービス(デイケアやショートステイなど)を利用しながら、自分自身がそこを完全に離れられる時間を持つようにしています。
敢えて「許す」という言葉を使ったのは、私の中にも「親なんだから高齢になって身体が不自由になったら私がみなければいけない」という強い想いがあることに気づいたからです。その強い想いがあると、そこから離れられない「執着」になってしまい、日々の生活すべてが両親を中心に回ってしまい私の自由がなくなるというがんじがらめな状態になりがちです。
意識的に両親から時々、完全に離れることを自分自身に許すことはとても大切なことだと実感しています。このことは他人ではなく「親子」の関係だからこそ意識的に距離を置くことが大切なことだとも感じています。
2・自分自身のネガティブな感情をまるごと受け入れる
最初に執着を感じる対象となる人や出来事を観察し、そこから時々距離を置くことを書きました。次に執着を感じる対象を目の前にした時に起こる自分自身の感情に焦点をあててみます。このことは執着を手放すためにとても大切なことであり、なかなか気づきにくいことです。
執着を手放すためにいくらその対象となる人から離れたとしても、その対象の人との間に湧き起る自分の感情に気づくことができなければ、どんなに環境が変わっても執着は消えることはありません。ここはとても重要なポイントなのでじっくりと自分自身の心と向き合う覚悟が必要です。
私は、ニチメコの実践において、目の前に起こるできごとは、私自身の「想い」が映し出す『ホログラム』であることを十分に認識することを学んでいます。現実が「ホログラム」であることを認識していると、執着を手放すときにとてもラクです。
そこで、私は両親の介護の場面で出てくる自分自身の感情を見てみると、残念ながら(笑)両親のサポートができるという喜びの感情よりも、圧倒的に「自分の思い通りにならない」イライラする気持ちや、元の元気な姿に戻れない、不自由な身体になってしまった両親へのどこにぶつけようもない怒りが湧いてくるのでした。
それは、むしろ自分の親だからこそ感じる「せつない」という悲しい感情にも大きく影響されているように感じています。そういうとき、子どもである私は「親のことなのに怒ってしまう自分」に対して、「そんなことではダメだ」「もっと愛の心で接してやさしくてあげなければ」と湧きあがる怒りの気持ちを全力で抑えようとするときがありました。それはまるで、溢れあがる水がマンホールのフタを押し上げる勢いのように強いものでした。
まずは、その怒りを自分自身がまるごと受け入れます!イヤだと思っていい!父さん母さんのことを嫌いだと思ってもいい!と思い切りそのときのありのままの自分自身を許すことができたとき、ふう~~っと身体の力が抜けて軽くラクになっていくのを感じることができました。
そうすることで目の前の親に対して怒りをぶちまけることをしなくても大丈夫なことが多くなりました。1度そういう体験ができると、ネガティブな感情をまず自分自身がまるごと受け入れてあげることがどんなに大切なことかを腑に落とすことができます。心から納得することができるのです。ここは非常に重要なポイントです!!
なぜならば、この体験は個々人においてその時その場面で自分自身でしか選択できないところだと感じているからです。ですから、執着を手放す上で、ニチメコで知識として『この現実世界は私の意識が映しているホログラムである』ことを知り、そのことを意識しながらの日々の実践は私にとっては欠かすことのできないこととなっています。
両親の介護という場面で、自分自身に湧き上るネガティブな感情を怖れず、そのまま、まるごと自分自身が受け入れることができるという体験ができたのはとても大きなことでした。執着を手放すためにとても有効なことは、まずは、私が自分の苦しい想いをそのまま、まるごと許してあげることでした。
*具体的な実践方法*
ネガティブな感情を表現する
ここでもうひと押し!執着を手放すために有効な実践方法をあげてみます。多くの人は、ネガティブな感情よりもポジティブな感情の表現に慣れていたり、小さい頃からポジティブな感情をすると受け入れてもらいやすかったという体験から、ネガティブな感情を押し殺し、無理矢理ポジティブな感情にすり替えて表現してきたのではないでしょうか?
ここでおすすめしたいのが、ネガティブな感情もなんらかの形で表現して捨ててあげてください!!ということです。ネガティブな感情はポジティブな感情とは違って、出てきたそのときに表現してしまうと相手を傷つけてしまったり、そのことをあとで精算するのに何倍もエネルギーを費やしてしまうことになりがちです。
でも、だからといって、そのネガティブな感情をそのまま心の中に残したままでは、どんどん自分自身が重くなってしまう原因になります。部屋にホコリが溜まったらそうじ機をかけるように、いらないネガティブな感情こそ、信頼のおける人に話すことで表現したり、メモでも日記でも「書く」ということを通じて、自分自身の心の中から一旦外に出してあげることはとても有効です。
書くことでもう一度、自分の目で確かめるので、自分の中にあるネガティブな感情をしっかりと認めることができます。認めることができると手放すのは簡単にできます。執着を手放すために、ぜひ話したり、書いたりしてせっかく出てきてくれたネガティブな感情を表現することを忘れないようにします。
世間一般に「愚痴を言う」という表現がありますが、「愚痴」を言うのは、自分のネガティブな感情を自分自身が認識するためだということは忘れないようにしたいものです。ただ、愚痴を言うだけでは、汚水を垂れ流してしまうだけでいつかまた違った形で自分の元へ還ってくることになります。あくまでも自分のために聞いてもらうという姿勢を意識していることは大切なことです。
自分自身を大切にする
介護の場面においては、親のサポートがいつのまにか執着と化して「私がなんとかしなければ」という想いに心が占領されることが多発しがちです。いつのまにか執着になっているときは、きっと身体のどこかがサインを送ってきます。
私も今、母の状態の変化が激しい状態を体験しているので、首と肩がパンパンに張っているのを感じています。家族の介護においては、急な変化に伴う緊張や、先が見えない不安も出てくるのは当然ですが、そんなときこそ、夜眠る前にマッサージをしたり、ゆっくりと深呼吸を意識したり、自分のために美味しいお茶をいれたりすることを心がけています。
できれば、自分自身を大切にするためにも短時間でも自分自身の収入を得られる仕事を持っていることも自分の軸を見失わずゆとりを持つことができる有効なことだと感じています。とかく、介護の場面では自分のことが後回しになりがちです。一日のうち短時間でも自分を大切にする時間を持ちましょう。
意識的にいつもと違うことをしてみる
時には、友だちと会って話をしたり、他に同じ介護の経験をした人の話を聞いてみるのもとても大切だと感じています。先日私は、親の身体の状態が急変してどうしたらいいかわからなくなっていた時に、ハイゼミの仲間と話をする機会をみつけ、一日が始まる前に「最善の方法で介護ができる」と意図してみて!と話していただき、その日一日を普段よりも大きな気持ちで過ごせたように感じました。
とかく、親の介護の場面では、ひとりで抱え込んでしまい考え方も狭くなり、決まった視点からしか考えられなくなっているものです。執着しないためにも、心を開いて会った人に話をしたり、話を聞いたりすることは、自分自身の視野が拡がります。
時には、普段行かないところに買物に出かけてみるのも新しい発見があり自分の楽しみの引き出しが増えるというものです。
散歩に出かけよう♪
執着は、心の問題ですが、心がひとつのことに捉われてしまうと身体もカタク重くなっています。そうなると二重のダメージで苦しみます。ぜひ、お天気のいい日に太陽の光を浴びながら短時間のお散歩をしたり、軽くジョギングしたり、眠る前のストレッチをおすすめします。
一日のサイクルの中に散歩や軽い運動の習慣を持つことで熟睡できます。散歩にでかけると季節の花が咲いているのを見つけたり、犬のお散歩に出会ったりずっと同じことを考え続ける思考から自然と離れることができて気分が軽くなります。
*まとめ*
執着を手放して軽やかに生きるために、私は親の介護の体験からまず親のことをよく観察する、距離を置くことをあげました。ずっと親と同居していた方もいらっしゃれば、私のように突然介護が必要になって親元へ帰って同居しながら介護をされる方がいらっしゃると思います。どちらの場合も、あらためてじっくりと親の生活スタイルを観察することは必要だと感じます。
年齢を重ねた方はゆっくり時間をかけるとできることもたくさんあります。ぜひ観察する心の余裕を持って距離を置くことを自分自身に許してください。次に執着を手放すためにとても重要なことは、介護の場面で遭遇した出来事や親とのことで自分自身から湧き上る感情に焦点をあてることをあげました。
特に不安やイライラする気持ち、怒りなどは、受け容れ難いものに感じますが、意外にも自分自身がその感情に向き合い認めてあげることでスッとラクになるものです。とかく介護の場面では、あたりまえのように「やさしさ」を求められるものですが、ぜひ自分自身の中でネガティブな感情の葛藤が起こったときは、その自分自身の気持ちをマリア様のようにやさしく受けとめて抱きしめてあげてください。そうすると自然と手放せるものです。
まわりの人へやさしい気持ちが自然と出ないときは、ひと呼吸置き、自分自身の感じていることに焦点をあてて、まず自分自身を大切に愛してあげてください。その具体的な実践方法もいくつかあげてみました。執着を手放して軽やかに生きるって楽しみが増えるってことでもありますね♪
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