「ラブストーリーは突然に」巷ではよく、男女間の恋愛の状態を称して「恋に落ちる」と表現されることがあります。なんの根拠もなく突如として、それはまさに「落ちる」かのように恋愛がスタートする、これまで友人同士であったのに!仕事仲間であったのに!という経験はありませんか? これはほんの一例ですが、このように私たちが「恋に落ちる」状態にあるとき、ではいったい恋愛の「何に」対して私たちは「落ちて」いるのか?今回はそのメカニズムを紐解きながら、その体験を通じて「自分知り」「もっと自分を好きになる」ことへと、これまでの恋愛のベクトルを自らを知ることに応用する、その5つのことをお話しさせていただけたらと思います。
1、恋愛体験は「分離の最前線」という新しい見方
現在進行形の方も、そうでない方も、恋愛体験のただ中のときを、少し思い出してみてください。四六時中、相手のことを思い、「会いたいなぁ~」と感じたり、「声が聴きたいな」「ずっと側に居たいなぁ~」と思っていたり、恋愛中の私たちの意識が常に「相手に向かっている」ことに、気づきます。 これは、その状態が「悪い」といっているのでもなく、恋愛体験を否定しているのでもありません。
その奥に、相手に嫌われたくない、相手にずっと好きでいてほしい、振り向いてほしい、気にかけてほしい、こういった素直で素敵な思いを体験できる貴重な体験が恋愛の醍醐味の一つであることと同時に、
この状態を、少し角度を変えてみてみたとき、「相手の反応すべてが自分の軸」になっている状態、つまり、自分がどうありたいのか?という自分の軸のほとんどが相手へと向かう意識がほとんどになっていたり、また、その状態を自分自身が気づきにくかったりもします。
そういった意味で恋愛体験は、自分自身の軸という部分に意識がおよびづらくなる感覚が少なからずあって、それはまさに、「自分自身と離れる、自分との分離の最前線」という表現にぴったりでありように感じます。
2、「自分にはないと思うもの」を求めてない?
例えば一人の女性がいて、ある男性の「思ってもみなかった優しさ」に触れたり、「これまで予想もしなかった相手のギャップ」に対して、突如恋愛感情が芽生えたりする=「恋に落ちる」 ということも少なからず恋愛の場面でおこったりします。こういった場面で心の中では、「自分にはない」と認識してきた特性や、能力を、相手に見いだしている、ということもいえるかもしれません。
そのことで癒されたり、安心を得られたり、恋愛の中で、とても素晴らしい体験の一つともいえます。
半面、その魅力が自分には「ない」と、無意識に感じているとき、その「ない」ものを求めづづけている、ということも言えるかもしれません。自分には「ない」という思いの奥には、「欠乏感」が常にある、と、感じることができるかもしれません。
「突如恋に落ちた」、その理由の真相には、こういった「ない」という気持ち、「欠乏感」が隠れていないか?こういった視点も、恋愛を別の角度からみて、自分をわかる材料の一つにしてみることもできそうです。
3、恋愛が、現実からの逃避になってるかも?
突如舞い降りた恋愛に落ちているとき、無意識に夢中になってそこに没頭し、しなければならないことに手がつかない、とか、いつもいつも意識がそこから離れられないことがおおいにして訪れたりします。好きになったり、気になったりする方が現れたとき、そんな状態が起こっている、そのこと自体が恋愛体験の醍醐味であったりもします。
しかし、そんなときこそ、ちょっと冷静に自分を観察してみます。
恋愛と並行した現実そのものから、目をそらしている状態=向き合う現実から回避している状態 と、いえるときがあります。すべてがそうだ、とはいえませんが、少し冷静に自分の心と対話してみると、こういった事情が奥に隠れていることもあるかもしれません。
4,「恋に落ちる」時、その奥に実は・・・
その1~その3を、例にだしてお話しさせていただいたものを、簡潔にまとめてみると、「自分の軸がぶれやすい」「欠乏感」「現実の回避」など、これらすべてに共通なこととして挙げられるのは、「恐怖が元にある」ということが見えてきそうです。相手を思い、ドキドキしたり、ワクワクしたり、こういった恋愛特有のシンプルで素敵だなと感じる感情が、「恐怖が元になっている」ことがあるとはにわかには信じがたいですね!
しかし、そうとらえなおしてみると、私たちがこれまで聞き及んできた「恋に落ちる」という言葉は、「恋」の「何」に「落ちているの?」と、問い直してみると「恐怖」に落ちていっているのではないかな? そんな風に感じ直すことができます。
自分の中に無意識にある、あらゆる「恐れ」の感情がピークに達したとき、「恋」というスイッチが、突如前触れなく感じるほどに押される、これが「恋に落ちる」ということのメカニズム、ベールの一端であるかもしれません。
また、別のとらえ方として、この現実世界は、二元性と聞きます。
これまで私は、その二元性の「恐怖」に裏打ちされた現実は、「幻である」とも学びました。すると、「恐怖」に基づいた「恋」、「恋愛」、「恋に落ちる」という体験は、この現実世界の体験の中でも、「恐怖に基づいた、究極の幻体験の一つ」ともいえるかもしれません。
5、この幻に感謝して、もっと自分を好きになる!
では、一歩引いて、こうした恋愛体験が、自分の「どんな恐れがもとになって突如訪れたか?」という材料として観察することができそうです。
・相手にどんな素敵さを見いだせているか?そのすばらしさを「自分にはない」と、思い込んでいない?
・相手に求めていることの奥に「欠乏感」=「ない」という感情が隠れていないかな?
・向き合う現実から目をそらしているなら、どのあたりに怖さや不安を感じているの?
そんな風にして、恋愛体験が、自分のことをもっと深く、もっと繊細に、わかってあげられる素晴らしい体験として、これまで、相手に向いていた恋愛のべクトルの方向をより深みあるものにできる、相手を好きになる体験を使いながら
これまで、恐怖が元だった恋愛から自分の、本当の気持ちを知って
「もっと自分を好きになる!」
そんな体験にすることができるかもしれません。
相手も大切にできる。そして、これまでよりもっと、自分自身を大切にすることができる。「恋に落ちる」ことの素晴らしさは、そこにも見いだせるのかもしれません。
今回は、「恋に落ちる」そのメカニズムの一端をご紹介しながら、自分を知る、自分をわかってあげて、もっと自分を好きになる、そんなお話しを書かせていただきました。
お読みいただき、本当にありがとうございました。