2018年冬季オリンピックで大注目された、フィギュアスケート選手の羽生結弦さん。
日本のみならず、世界中にファンがいるそうだ。
スケートリンクに投げ入れられたくまのプーさんの数は、それこそ異次元の人氣を知らしめた。
テレビでは連日、羽生結弦さんの話題で持ちきりだった。
街頭インタビューで、羽生結弦ファンだという女性にマイクが向けられた。
「ゆづに恋しました。初めてです、こんな気持ちになったのは・・・。わたし70歳ですよ」
淡々と、だけれど溢れ出てくる想いが、迫りくるように伝わってきた。
その真っ直ぐな恋心に、衝撃を受けた。
70歳ではなかった。
恋する心は、16歳も70歳も同じであることを証明していた。
淡々とした口調とは対照的に、瑞々しく光を放っている恋心に、強く打たれた。
命を司るものがそこにある。
自分を輝かせるものがそこにある。
生きるということの秘密がそこにある。
と、直感的に感じた。
その奥になにかある。
生きることの核心に触れるなにかがある。
それはなんだろう?見つけたい!
と、探究心がムクムクした。
70歳の迸る恋心が、わたしの内に、強力なスパークを起こした。
なにが見つかるのか?どんな情報につながっているのか?解き明かしたい。
恋心は衝動
恋心とはなんだろう?
おばあちゃんと呼ばれる年齢の女性が、完成装備の日焼け対策をしている姿を見るにつけ、いつも疑問に思った。
失礼を承知で言わせてもらうと、なんで日焼け対策が必要なんだろう?誰に見せるんだろう?と思った。
恋愛は若い人がするもの、という固定観念があった頃の話だ。
で、あるとき、わかった。
おばあちゃんの日焼け対策は恋心だ。おばあちゃんの中に永遠にある恋心が、日焼け対策をさせるのだ。
おしゃれをするのも、気に入ったものを買うのも、恋心が起こす行動だ。
異性への恋心が一番吸引力が強いだろう。最も欲するもの、であるだろう。
しかし、同性の友だちにも、恋心を感じたことはないだろうか?
同性の友だちと仲良くするのも、恋心だ。
親子の間も、恋心だ。
絵を描く、文を書く、物を創る、音を鳴らす、料理をする、掃除をする、仕事をする、勉強をする、遊ぶ、ことも恋心だ。
生きることそのものが、恋心だ。
と、極端な解釈だけれど、日々の暮らしと恋心は深く関わっている。切っても切り離せない。
ケンカしたり人を憎むのは恋心の裏返し、と言えるのではないか。
異性を好きになることだけが恋心ではない、ということだ。
恋心は、衝動。
恋心が自分を突き動かしている!
こうしたい!と行動に駆り立てるのが、恋心。
恋心は、自分を動かすエネルギー。創造の源。
恋心がポジティブに作動しているときは、喜びやしあわせを感じ、人生がどんどんHappy♪になる。
恋心がネガティブに作動しているときは、嫌なことばかり考えて、嫌なことばかり起こる。恋心の本来の働きが失われ、有効に働いていない状態だ。
恋心をポジティブに作動し、しあわせであることが、生きる目的の1つと自覚したい。
創造の源
異性への恋心に話を戻そう。
Happy♪な恋心と不安と恐怖は、表裏一体だ。恋がうまくいっているときも、この恋が破れたら、という不安がいつもつきまとう。失恋の恐怖だ
恋が破れると絶望的になる。とても辛い。
例えば、絵が上手く書けないとき、落胆し失望する。つまり、失恋と同じだ。
恋心は、しあわせにもすれば、辛くもする。どっちの側面もある。
恋心とは一体なんなのか?
今さら言うまでもなく、恋心が創造の源になることは、多くの人の知るところだ。
恋心=性エネルギー=創造のエネルギーという図が成り立つ。
わたしたちの人生は、こうしたい!と行動する=創り出す、ことで成り立っている。
わたしたちは、毎瞬毎瞬なにかを創り出している。
睡眠中、肉体は動いていなくても、思考や感情は常に動いている。そして、間接的に、それが現実を創り出している。思考が現実を創るから。
創造の源である恋心は、生きる希望、生きる原動力、生きる源だ。
冒頭で書いた「命を司るものがそこにある」「自分を輝かせるものがそこにある」「生きるということの秘密がそこにある」とは、このことだ。
生きることは恋をすること
異性への恋心から、もっと大きく拡げた恋心に話を変える。
生きるって、恋をすることなんじゃないか。恋心を持ち続けることなんじゃないか。
もし恋心を失っていたら、恋心を取り戻すことが、生きることかもしれない。
恋心がないと、家事や仕事をやる気がしない、遊ぶのも面白くない。
恋心が起きるから、イキイキ行動でき、しあわせが循環する。
しかし、恋心がなくても、嫌々であっても、生きるために行動しなければならない。そして、実際、行動できる。
その状態は、本来の恋心が作動されていないので、根っこがネガティブだ。しあわせではない。辛い状態だ。
そして、ネガティブはネガティブを生む。この問題は後で考えるとして、先に進む。
ということは、自分にとって必要なことに恋心を抱くようになっている、と考えられないだろうか。
恋心とは、しあわせに生きるために備わっているものであり、しあわせになるガキを握っているものではないだろうか。
ほんとうは誰に恋したい?
ほんとうは誰に恋したい?と聞かれたら、なんと答えよう。
自分に恋したい、とわたしは答えよう。
究極の恋の相手は異性ではなく、自分自身なのではないか。
自分に恋心を持つ。自分に恋したい、のではないか。
好きなものを買うことは恋心、と書いたけれど、それは自分への恋心から発生しているのではないだろうか。
自分を喜ばせたい、自分を愛したい、自分への恋心を自分に伝えたい、と行動する。
完成装備の日焼け対策をしているおばあちゃんも、自分への恋心が、美しい自分でいたいと行動させるのではないか。
自分自身に恋心を持つということは、本来の自分自身に戻るということ。
わたしたちは、本来の自分を隠し、世の中の価値観に合わせて生きざるをえない。
そんな自分に違和感を感じながらも、そこから抜け出すことが出来ない。本来の自分で生きる勇氣を持つことができない。
そして、葛藤が起き、苦しむ。
苦しんでいる自分を自分が救い、本来のしあわせな自分に戻るために、恋心が作動する。自分への恋心が、自分を救う。
なぜ本来の自分に戻る?
なぜ本来の自分に戻る必要があるのか?もっと深く探ってみると。
しあわせになりたいからではあるけれど、本来の自分自身に戻るために、ここ地球に生まれてきた。
自分の心から望む人生を叶え、しあわせに生きるために、本来の自分に戻る。
そのプロセスに大きな学びがあり、その学びをすることで進化成長することが、おっもっと深い理由。
本来の自分に戻る方法
本来の自分に戻るには、自分の思考や感情を、ネガティブからポジティブに書き換える必要がある。
自分の中にあるネガティブが、本来の自分に戻ることを邪魔しているから。
そのためには、常に自分を観察し、自分の中にあるネガティブに気づくことが必要不可欠。気づいたらポジティブに書き換える。
ネガティブをポジティブに書き換えることを日々実践すると、本来の自分に戻っていく。
異性への恋心は、強力なネガティブ感情を誘発する。ゆえに、自分の中にあるネガティブに気づきポジティブに書き換えるのに、最強の効力を発揮してくれる。
先ほど「その状態は、本来の恋心が作動されていないので、根っこがネガティブだ。しあわせではない。辛い状態だ。そして、ネガティブはネガティブを生む。この問題は後で考えるとして、先に進む。」と書いた。
「この問題」の、これが解決方法になる。ネガティブをポジティブに書き換える。
本来の恋心を失ってネガティブになっている自分に、生き生きとしたポジティブな恋心を取り戻してあげる、ということだ。
恋心は不安や恐怖と表裏一体だ。恋心がネガティブに傾いたら、現実もネガティブになってしまう。それは、自分に恋をしていない状態だ。しあわせになれない。
ポジティブな恋心を取り戻すと、現実はポジティブになり、しあわせになる。自分に恋している状態だ。
自分に恋しているということは、どんな自分でも認めている、肯定している、愛しているということだ。本来の自分自身であり、しあわせな状態だ。
さいごに
恋心は自分を輝かせる創造の源。
いつも自分に恋していよう!
ゆづファンの70歳の女性に衝撃を受けたのは、自分自身に真っ直ぐに恋している、と感じたからだ。
自分に恋するとは、どんな自分でも認めよう、肯定しよう、愛そうということだ。
70歳の女性から、ゆづに恋心を持っている自分を、認め肯定し愛していることが伝わってきた。
本来の自分自身で生き、揺るぎないしあわせを感じている、恋する乙女のエネルギーとわたしの意識がスパークしてこの文になった。
自分に恋しているということは、自分を大事にし、自分の価値観で生きているということだ。
世の中の価値観に左右されて生きていない。人に合わせて生きていない。自分の価値観で生きている。
それが本来の自分に戻るということだ。
本来の自分に戻るということは、自分の心から望む人生を叶えることができ、しあわせになる唯一の方法だ。
自分に聞いてみよう。
自分に恋してる?