子どもの頃に「この子は几帳面で・・・」と父親に言われている私を思い出すと、なぜかあまりいい感じがしないのはどうしてかな?とふと思いました。
几帳面という言葉を発する父親の声の響きにそのことをあまり「良く思われていない・・・・」と悲観的に受け取っている私がいました。
私にとっては、ごくあたりまえの行動でもまわりの人にとってはそうではないのかも知れない?と自覚し始めたのはずいぶん大人になってからのことでした。
あたりまえの習慣は、気づいても変えることはなかなか難しいものです。今日は几帳面の長所・短所を分析しながら几帳面を戸惑いなく受け入れ自分自身の味方にしていきたいと思います。
◉几帳面の語源の由来◉
几帳面という言葉を文字にしてみると、珍しい漢字を書くことに気づきました。几帳面の語源がどこからきているのか調べてみると
【几帳面の語源・由来】
室内で貴人の座るそばに立て、間仕切りや風除けに用いられた家具「几帳(きちょう)」に由来。
几帳の柱の表面を削り角を丸くし、両側に刻み目を入れたものを「几帳面」といった。
細部まで丁寧に仕上げてあることから、江戸時代以降、きちんとしたさまを表すようになった。
こんなことがわかりました。まさか間仕切りの家具からの由来の言葉だとはあらためて調べてみるとおもしろいものです。
*几帳面の人の長所
几帳面の人の長所としてあげられるものは、その語源の由来からわかるように、
・物事をていねいにきちんと正確にやりとげる
・責任感が強い
・教えられたことを素直に行動する
などがあげられます。
*几帳面の人の短所
では、次に几帳面の人の短所をあげてみましょう。
・行動に独特のものがあり融通が利かない
(ていねいにやらないと気が済まないとか)
・自分に厳しすぎる
(細かいところまで気がつくので自分自身にもそれを課してしまう)
・何かの型にこだわってしまう
(ピンポイントに深く考え行動することができるので、自分自身で拡げていくのはむずかしい)
というふうに、几帳面の人の短所は、その長所の裏返しであるようにも見えます。
そして、短所と言っても実に繊細な部分であるがゆえに、対人関係には時に過度な緊張を伴うこともしばしばです。
【バランスをとるための3つの心得】
1・「まぁ いいや!」の効用
若い頃の私の親友は、何かというと「まぁ いいや!」と言ってまわりの人を笑わせる人でした。当時の私は、笑って許せる人の気が知れない!と内心思っていました。
そして私は「まぁ いいや!」はズボラで悪いことだと思っていて、それが口ぐせの友人はダメだなぁ~と私は、心の奥で批判してニヤリと笑ったものでした。
几帳面の私には「まぁ いいや!」なんてあり得ない許せないことだったのです。
ところが、人生には真逆の体験がつきもので、几帳面な私にとても忙しい職場で仕事をする時期が訪れました。
几帳面の私にとって、それはとてもストレスでありながら「頑張る」ことでそれを克服する方法を知らなかったので、がむしゃらに頑張りなんとかその場を切り抜けてきました。でも、その仕事を長く続けることはとてもむずかしいことでした。
転職しても、やはり一つだけのことをやっていればいい仕事なんてほとんどないと言ってもいいくらいなので、私はだんだん疲れていく自分自身を感じていました。
そんな時、親友が「まぁ いいや!」を連発しながらも身軽に仕事をこなしていく姿を見て、今度はあの頃バカにしたような目線でしか捉えられなかった「まぁ いいや!」が私の緊張とストレスを解く魔法の言葉に聞こえたから不思議でした。
そうなのです!几帳面すぎる人にとって「まぁ いいや」と時々声に出して言うことは、とても大切なことなのです。
私とは真逆の面を持つ友人が几帳面すぎる私にとって癒しとなっていたことに気づいた出来事でもありました。
几帳面すぎる自分自身を感じたときは、深呼吸をしたり「まぁ いいや!」と魔法の言葉を唱えて気分転換を心がけるのはとても大切なことです。
2・自分を知る
何事も度が過ぎると苦しいものです。しかし、自分自身が普段あたりまえと思って行動していることに「度が過ぎている」ことを認識するのは、むずかしいことでもあります。
たいてい、仕事などの対人関係の中で他の人と違う自分自身を感じたとき、そういう自分はダメだといきなり否定してしまう人は多いのではないでしょうか?
そして、ダメだと感じながらもそのことを変えることができない苦しみを抱えていたりするのです。
そういう人はそのことを「苦しみ」とも思わず「あたりまえ」だと思っているのかもしれません。
私は、自分自身の几帳面さが時々度を過ぎて自分自身を疲れさせていることに気づいたとき、偶然「アスペルガー」といういわゆる広汎性発達障害に注目しながら、そのことを「障害」という捉え方ではなく「才能」として輝かせていくという内容の本を読む機会がありました。
そこで、私が得たことのひとつに、ひとつのことに深くこだわってしまう特徴が「アスペルガー」という症状にあり、それは生まれつき持ってきた脳の器質的特徴であることを知りました。
私たちの身体の中には、三大神経伝達物質セロトニン・ドーパミン・ノルアドレナリンというものがあり「アスペルガー」人は、往々にして慢性的なセロトニン不足を抱えているという情報は、私が自分自身を知るうえで新しい見方のひとつでした。
セロトニンとは、簡単に言うと快楽物質のドーパミンとその反対の怒りなどの感情を表現するノルアドレナリンの2つの物質をコントロールする役割のある物質です。
セロトニン不足を解消する方法は、今の時代ネットを検索すると簡単に出てきます。
しかし、ここで大切なことは、そのことだけで几帳面すぎる自分自身の一面を治そうとしないことです。
まずは、そういう見方もあるのだと受け入れ、視野を拡げていくことがとても重要なことです。
たいてい知識として得ることは「自分を知る」上で氷山の一角でしかないことを認識しておきましょう。360度の視野で自分自身を見るとイメージしてみてください。
3・ポジティブに捉える
愛は相手の嫌なところにフォーカスしない
この言葉のように、几帳面なことに関してもその良いところに焦点をあててそこから才能を引き出すイメージを意識的に持ちます。
几帳面であることに対して「これではダメだ」とか他の誰かと比べて「私はヘンだ」と萎縮してしまうのではなく、几帳面である自分をまるごと受け入れて徹底的にその自分を観察してみましょう。
自分以外の誰かが、几帳面なアナタのことを批判したとしても、自分だけは100%自分自身の味方であってください。
何かに抵抗している時に、怖れを手放し、じっくりと几帳面な自分を感じてみると、見えなかったところが具体的に見えてきて、いつのまにか「怖れ」は消えてしまっていることに気づくことができます。
「怖れ」は、はっきりと認識することで手放すことが可能です。ていねいに仕事ができるのは才能だし、正確に物事を捉えそこに徹底的にこだわることができるのも才能です。
自分自身の「几帳面」に対してのネガティブな想いは「思い込み」に過ぎない場合は多々あります。
今一度、几帳面な自分自身に愛を持って心を開くときっとあなたの世界は今まで以上に拡がっていきます。
*まとめ
自分自身の中に「生きづらい」何かを感じるとき、例えるとそれは、越えようとしても越えられない高い塀みたいなものかもしれません。
几帳面さも小さなところにこだわってしまう「生きづらさ」を作ってしまう原因のひとつになりやすいものです。
几帳面を厄介なものとして、治そうとしたり、敢えてそれを避けようとしてもいつまでたっても消えてなくなることはなく、返って「問題」としてそこに在りつづけるだけになります。
ならば、几帳面な良いところや気持ちの良いところをどんどん褒めて育てて自分だけの最強アイテムに変身させることは、実は可能なのです。
几帳面であることに対する自分の感情をていねいに感じてあげればあげるほど、そのことは自分だけにしか操れない最強のものに変わります。
今まで嫌で嫌でしょうがなかったことが まるでウソみたいに軽やかにクリアできるのは、几帳面さがあったおかげだと思えるようになるから不思議です。
几帳面さだけではなく、自分自身の「クセ」みたいなものには、悪いところがあれば必ず良いところも同じようにあるものです。
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