過去は変えられるということは、驚くことではありません。
わたし達は日常生活の中で、普通に過去を変えています。
気がついていないだけで、ずっと過去を変え続けて生きています。
どういうこと?
自分を変えたい、人生を変えたいと思ったとき、過去を変えています。
なぜなら、自分の思いが現実を創るというこの世の仕組みがあり、過去が未来を創るからです。
つまり、過去を変えないと未来を変えられないことを、どこかで知っているからです。
でも、過去が変わること自体あり得ない!
そうです、過去に起こった出来事は変えることはできません。
ただ、過去に起こった出来事に対する見方は、いつでも自由自在に変えられます。
見方を変えるということは、その出来事に対して出てくる思考感情=思いが変わる、ということです。
例えば、Aさんに酷い仕打ちをされた過去の体験があったら、未来はAさんを憎み嫌っているでしょう。
ところが数ヶ月経ったとき、Aさんは私のことを思って悪者になっててくれた恩人だった、ことに気がつきました。
気がついた後の未来は、Aさんに親しみを持ち好きになっている、に変わっているでしょう。
過去の出来事は変わっていませんが、過去の出来事から出てくる思考感情が変わったことで、過去が変わったということです。
過去が変わったので未来も変わりました。
過去を変えると未来は変わる、とはこういうカラクリです。
ざっくりとした例でしたが、なるほどーやってるわーと思われたのではないでしょうか。
このカラクリを腑に落とし、意識的に活用することで、望む未来を創ることができます。
過去は変えられる!更に深めていきましょう。
過去が邪魔をする!?
「気がついていないだけで、ずっと過去を変え続けて生きています」「自分を変えたい、人生を変えたいと思ったとき、過去を変えています」と書きました。
変えたい!と思ったとき、過去を変える必要が出てくるからです。
なぜなら、変えたい!と思うのは、それが叶っていないからです。
なぜ叶っていないのかというと、過去の体験で感じた思考感情が、変えたいことを叶える邪魔をするからです。
変えたい!と思ったとき、わたし達は当たり前のように未来に目を向けますが、逆です。
叶えないように邪魔をする、過去に目を向けることが必要です。
自分の人生は自分で創れる、自分の思いが現実を創る、というこの世の仕組みが前提での話です。
つい最近、2010年9月に書いた、わたしの日記が目に止まりました。
母のことを書いていました。
こんなことを書いていたんだなあと、新鮮な気持ちで、過去の自分と対面しました。
わたしは物心ついたときから母が大っ嫌いでした。
なぜなら、普通のやさしい母親らしい母ではなかったからでした。
今でいう「ADHD」だったと思います。
みんなと同じ行動が取れなかったのでしょう、バカにされ仲間はずれにされるような人でした。
家事育児も苦手で、そんな母が恥ずかしく、肩身が狭かったです。
自分のことで精一杯だったんでしょう、自分勝手でわがままで、みんなに迷惑をかける母を嫌悪していました。
理想の母親とかけ離れていて、だからわたしは不幸だと母を憎悪していた、と言っていいです。
自分のことは自分でやらなければならず、子どものように甘えることができませんでした。
そんなんで、母から愛情を感じませんでした。
わたしの一番苦しみは、母に愛されていないことでした。
わたしは母に愛されていない、愛されていないから愛を知らない。
愛を知らないから誰にも愛されないしわたしも人を愛せない、だから問題だらけの人生なんだ、とそのことで長年苦しみました。
そんな自分は価値のない人間だと、自分を卑下しました。
母は、その日記を書いた7年前に亡くなっていました。
母が亡くなる頃は、自分を変え続けていたので、母を好きになることができるようになっていました。
しかし、母が亡くなって7年後に、母への決定的な変化がありました。
そんな背景があっての日記です。
その日記を一部転載します
私の母は、強烈な個性の人だった。
その個性は、母の姉弟、夫、子ども(私はその中の一人)の人生に 大きな影響を及ぼした。
迷惑をかけられるという、ネガティブな影響だった。
1ヶ月ほど前、物置を整理していたら、母からの手紙がいっぱい出てきた。
3通しかもらっていないと思っていたら、結構もらっていた。
早く気持ちを届けたかったのだろう、いつも速達で届いていた。
わたしが結婚をして子どもを生んだ頃に、頻繁にもらっていた。
わたしは、結婚への愚痴をこぼしていたらしい。
それに対する、母の叱咤激励だった。
わたしを思い、孫を思い、わたしの夫を思う親の愛で溢れていた。
便箋の欄外にはみ出すほど、びっしり3枚、わたしへの想いが書かれていた。
わたしは、母が、母親らしくなくて大っっっ嫌いだった。
でも手紙の中の母は、道徳の教科書に出てくるお手本になるような、これぞ日本の母!100%だった。
母らしくないところが大嫌いだったので、その展開は、驚くほど意外だった。
過去に読んだはずなのに、 わたしははそのときなにを感じていたのだろう?
きっと、愛を感じては、いたはずだ。
でも、ちゃんと受け取っていなかったと思う。
長い年月を経て、読み直し、母の愛に衝撃を受けた。
今は、母の愛を、そのまま受け取れる。
母が原因で様々な問題が起きている、と思い悩んでいた頃、友だちに言った。
「わたしの母親は変な人だから嫌いなんだ」
「こんな素敵な美保さんを生んだ人だから、お母さんはいい人だよ」
返ってきた言葉は、意表を突くものだった。
母のことはネガティブしかなかったので、ポジティブなことを言われ戸惑った。
しかし、その後、その言葉に支えられることになる。
自分自身への自信と、母に対する信頼を、深層心理の部分で取り戻したような気がする。
わたしを救ってくれた言葉だ。
わたしは、母に愛されていないと思っていた。
だけど、最初から愛されていたことが、今はよくわかる。
過去は変えられる
この日記を読んで、過去は変えられることについて書いてみたいと思いました。
物心ついてからずっとわたしを苦しめ続けてきた、母に愛されていない過去が、母に愛されていた過去に完全に変わったからです。
母への思考感情は、マイナスからプラスにひっくり返りました。
そして、未来も、マイナスからプラスの出来事を引き寄せました。
母に愛されなかったことが、自分を全否定する最大のコンプレックスであり、全ての問題の諸悪の根源だと思っていました。
問題を解決したくて、自分を変える努力をしました。
その長い間のプロセスで、母からの手紙は、自分を変える大きなキッカケになりました。
母に愛されていたと知ったとき、自分を許せたり、自分を認められたのでしょうか。
同時に、自分を愛することができるようになり、自分を変えることができるようになりました。
諸悪の根源、問題の根本原因は、母を愛せないことではなく自分を愛せないことだったのでしょう。
母の手紙を読んで愛されていたことに気づくと、今までフォーカスしなかった、過去の母との思い出が蘇ってきました。
過去には気づかなかった母の愛を、何十年も経って、感じ取ることができるようになったんです。
母に愛されていた、という過去に変わってからは、母に愛されていた場面がどんどん浮上してきました。
母に愛されていないと思っていたときは、その場面はスルーしていました。
物事は、1つの側面だけではありません。
360度、いろんな側面があります。
過去を書き換えるとは、観る側面が変わる、ということです。
それが、過去を変えた、ということになります。
過去を変えることによって、自分を変えることができ、他の問題も解決していきました。
逆の言い方をすると、問題解決するには過去を変える必要がある、ということになります。
過去を変えることを、過去を書き換える、と言った方がわかりやすいかもしれません。
ここから先は、過去を書き換えると表現します。
過去を書き換えられる、ということは、心の傷が癒されるということです。
心の傷が癒されると、自分を変えることができ、人生を変えることができます。
軽い傷は、書き換えも楽だし、早いです。
しかし、傷が深いと、書き換える作業は時間を要するでしょう。
ポジティブかネガティブか?選択する自由
過去を書き換えるとは、過去に起こった出来事を変えるということではないです。
過去に起こった出来事は変えられないですよね。
出来事を変えるのではなく、そこから受け取るものを変えるということです。
そこから出てくる思考感情を変える、ということです。
過去に感じたことを、一度真っ新にして、検証し直します。
そのとき大事なポイントがあります。
ネガティブな面ではなく、ポジティブな面にフォーカスすることです。
二元性のこの世界は、物事には必ず、ポジティブな面とネガティブな面があります。
同じ過去でも、自分に意地悪したというネガティブなフォーカスの仕方と、自分のことを思って言ってくれたというポジティブなフォーカスの仕方ができます
わたし達はいつのときでも、どちらへの面にもフォーカスできるんです。
どちらも自由に選択できるんです。
ポジティブにフォーカスする方を選ぶと、ポジティブな未来を創ります。
ネガティブにフォーカスする方を選ぶと、ネガティブな未来を創ります。
何故かというと、過去に感じた思考感情は、今現在に引き継がれるからです。
そして、今現在に感じていることが、未来を創るからです。
実は、ほとんとどの人が、ネガティブな方にフォーカスしてしまいます。
それには、この世の仕組みから観ると、立派な理由があります。
なので、ネガティブにフォーカスしたことを責める必要はありません。
ちょっとだけ触れると、ネガティブにフォーカスしてポジティブに書き換えるそのプロセスを体験をすることが、1つの生きる目的です。
ネガティブな過去をポジティブに書き換える、そのプロセスで進化成長するようにプログラミングされている、と言ったらいいでしょうか。
意識の向ける方向を変える
ネガティブをポジティブに変えるということは、意識の方向を変える、ということです。
ネガティブにフォーカスしているときは、目の前の相手に、意識を向けているはずです。
ポジティブにフォーカスするには、目の前の相手から自分に、意識の向きを変える必要があります。
相手に原因があるという視点から、自分に原因があるという視点に、意識を切り換えます。
相手に向けていた意識を、自分に変えることで、初めて自分を変えることができます。
過去を書き換えるためには、自分に要因がある、という視点が必要不可欠です。
さいごに
なぜ、過去を、ネガティブからポジティブに書き換えるのか?
相手への憎しみや恨みが消えず、許したいけれど許すことができず、結局その自分に苦しんでいませんか?
苦しんでいるのは、過去がネガティブなままだから、と言えないでしょうか。
過去をポジティブに書き換えるということは、憎しみや恨みから解放され、相手も自分も許すことができるということです。
苦しみから、喜びの人生に変わります。
自分自身を、苦しみから救ってあげられます。
自分らしく生きる、楽しく豊かな日々を創造したい!
わたし達にはそれを可能にする力が備わっています。
過去を書き換えることができ、望む未来を創ることができるという、誰もが持っている能力です。
開花させるのは、自分自身です。
そのチャレンジは、やり甲斐があり、本質的な喜びをもたらすでしょう。
ここをクリックしたということは、準備が整ったのかもしれません。
今がそのときです。