「生きづらい」という言葉からは
・自分だけが人と違う
・みんなと同じじゃない という想いを感じます。
この世は「みんなと同じ」な方が生きやすいようにできているからですよね?!
「発達障害」という世間のレッテルもその1つかもしれません。
昭和の高度成長期以降「発達障害」という言葉がよく使われるようになりました。
同時にアダルトチルドレン、アスペルガー症候群、自閉症などといった生きづらさの原因と言われる言葉も目にするようになりました。
その言葉はまるで庭に外来種の雑草が根づくようになったか?のような違和感も感じさせます。
慣れとは恐ろしいもので、今では普通によく耳にするようになりました。
保育園や小学校低学年で「発達障害」を言い渡された親や子どもたちは、そんなレッテルを貼られ、生きづらい人生に直面させられているかのようです。
そこには数々の困難や苦難が予測され実際にそれを体験することも事実です。
しかし「生きづらい体験」には、私たち人間につながる大いなる源からのメッセージが込められていることを伝えたいのです。
あなたは稀有なチャンスを手にしています。
どんな状況にあっても、堂々と自信を持って生きてください。
1・ありのままを受け入れる生き方
私たちのほとんどの人たちが、生まれて歩けるようになり保育園、幼稚園へ行き、そして学校に行き社会に出て働くということを「あたりまえ」の人生として生きてきました。
ですから世の中自体もそれが「あたりまえ」という前提にできています。
生まれたら市役所に行って出生届けをする。
保育園、幼稚園→義務教育→高校、大学→就職というルート。
でも何かしらの要因があってその選択ができない人がいます。
このルートに乗れない人の多くは、当然のように「生きづらい」を体験をするということでもあります。
また、このルートに無理矢理乗っている人も「生きづらい」と感じる人生を体験しているでしょう。
つまり「ありのまま」でいられない世の中の仕組みがあるということです。
残念なことに、100人百様・・・みんな違ってみんないい!!という「すべての個性を認める」理想世界は、この現実にはない!ということですよね。。。
2・親を選んで生まれてきた!
少なくとも、私が生まれた頃は「子どもは親を選べない」という観念をあたりまえに受け入れていました。
しかし、つい先日、母の一周忌の法要でお寺のご住職のお話を聞く機会がありました。
そこでご住職がニコニコしながら
「実は生まれてくるとき、どの親にしようかな?」と魂は親を選んでこの世にオギャーと生まれてくる。と話されたのにはハッ!としました。
今がどんなに辛く生きづらいと感じていても、その体験をすることに深い意味があるのだ!ということを大らかに話してくださったと感じました。
ご住職のお話では、お腹に命が宿って2ヶ月くらいに、スーーーッと見えない何かがお腹の子どもに入ることを現代では、もうすでに科学的に検証され認められているのだそうです。
そして面白いことに、その科学の世界のことも仏教の経典の中にはすでに記されているという不思議なお話もとても興味深く聞かせていただきました。
出産のとき「とりあげられた」という言葉を使うとき、その逆の「とりさげる」という言葉が存在したこと。
貧しく生きていくことがままならない時代には「とりさげる」こともあったという事実。
だからこそ「授かる」(さずかる)「あなたがたは授かりものなのですよ」という言葉が光のようにまっすぐに私の心に入ってきました。
「命」(いのち)という大いなる源を感じさせる響き!
私たちすべて、誰一人もれることなくすべての人が命を輝かせて生きていく。。
奇しくも、母の一周忌は、生まれたところがどんなに逆境であり生きづらいことだらけだとしても、それは命を輝かせる原料に過ぎないことを感じさせていただく日となりました。
3・原石が磨かれるとき
ダイヤモンドもルビーもサファイアも初めからピカピカに輝いていた訳ではありません。
宝石として輝いてそのもの本来の魅力を発揮するためには、まわりに付いている泥や汚れを払い磨かなければなりません。
人を宝石に例えるなら、まさに生きづらい体験こそ磨かれているときなのです。
子どもの頃から生きづらい体験をする人は、心のどこかですでに自分が宝石であることを知っている人だという言い方もできるでしょう。
自分を信頼する強い力がなければ、そこに向きあうことはできません。
大抵私たちは、世の中の「常識」というものに合わせて生きることの方が正しいと信じ込んでいます。
周りと違わないこと、迷惑をかけないように生きることが「良い」というふうに思っています。
いいえ、思い込まされている状態であることに気づいていないのです。
4・誰かの役に立っている
今という時代は「発達障害」という言葉を使いながらも、生きづらい体験をしている子どもたちをサポート(支援)する組織や仲間たちが増えてきていることはとても喜ばしいことです。
支援という文字も、あたかも障害のない人の方が上で、障害というレッテルを貼られた人の方が劣っているかのような錯覚をもたらしますが、本当はそうではありません!
生きづらい体験をしている人に寄り添い、そこに共にあることは心と心でつながることです。
この心でつながるという体験こそ自分自身が今、何を考え、何を感じて生きているか?!という一見あたりまえのことのように聞こえることを実感させてもらえる体験なのです。
ただ、言われた通り、常識に合わせて生きる生き方は、自分自身が何を考え(思考)何を感じて(感情)生きているか?本来の自分自身に目覚めないロボットのような生き方です。
5・私からあなたへ
今まで長い間、生きづらいと感じながらもここまで頑張ってきたあなたは本当に素晴らしい人です。
先日久しぶりに身体のメンテナンスで整体をしてもらったとき、帰りぎわに「おみくじ」のような楽しいサプライズがありました。
その時、偶然にも手にしたこの言葉を贈らせてください。
「暗いと不平を言うよりも、あなたが進んで明かりをつけなさい」
(マザーテレサ)
あなたは輝いています!
ありのままのあなたの一歩一歩が、堂々と輝いている!
あなたの一歩一歩が 多くの人に「勇気と希望」を与える一歩であることに心から感謝します。
ありがとう。