娘は数名の仲間と太鼓を習っています。
先日、コロナの自粛解除後、久々に教室がありました。
その日欠席のAさんについて、次回の練習は来るだろうか?という話になったとき、年配のBさんは言い放ったそうです。
「グループラインの出欠でも、いつもちゃんとした返事をしないじゃない」
「その日雨が降っていたり、行きたくなかったら、お腹が痛くなるんじゃない」
Aさんは、参加と読み取れるけれど行くとは返事していない、どっちにも転がれる返事の仕方をするそうです。
また、参加の返事があっても、直前に体調が悪くなって欠席することがままあるそうです。
今までは、Bさんは年配でもあり、若いAさんに優しく気遣っていたそうです。
が今回、みんなが心の中で思っていたことを、Bさんが初めて口に出したそうです。
相手を責めるということではなく、思っていることを明らかにした、ということです。
コロナの後、Bさんがあるがままになっていたんだよ、と娘。
Bさんはコロナの自粛のとき、今まで自分を抑えつけてたことに気がついて、もうそれをやめることにしたそうです。
相手を気遣って大人な対応をするより、すっきり爽やかに感じました。
水が、自然に流れる、あの心地よさを感じました。
丸く収まるようにという配慮は、どこかで水が淀み、いつか氾濫するでしょう。
あるがままは、自分自身もまわりのみんなにも、滞りを創りません。
あるがままに生きる。
今このとき、求めていることかもしれません、
あるがままに生きることを考えてみました。
最終目的
あるがまま、ありのままの自分になることが人生の最終目的、と言い切っていいでしょう。
ニチメコでこの世の仕組みを学び、実践し、丸13年になりました。
この世の仕組みがだいぶわかってきました。
知れば知るほどこの世の仕組みは味わい深く、奥深く、興味は尽きません。
この世の仕組みを活用して、こうなりたい自分、こうなりたい人生を創っている最中です。
入学当初に比べると、ものを観る視点、捉える意識がまったく変わりました。
意識が変わると、当然現実も大きく変わります。
わたし達の生きているここ3次元は、二元性で成り立っている世界です。
陰陽、ネガティブとポジティブで成り立っています。
ネガティブは陰で闇、ポジティブは陽で光。
わたし達は、ネガティブを嫌い、ポジティブを求めます。
ネガティブをとことん嫌い、ポジティブのみを求める、といっていいでしょう。
あるがまま、ありのままの自分とは、この忌み嫌われているネガティブが大きく関わってきます。
ネガティブを愛する
ポジティブシンキングという言葉が流行ったことがありました。
ポジティブになろう!ポジティブになればしあわせになれる!ネガティブは悪だ!
と言わんばかりに、ポジティブが崇められ、ネガティブは否定されました。
ネガティブが否定されることに違和感を感じていたとき、『ネガティブを愛する』というタイトルの本を見つけたときは、うれしくて小躍りしました。
ネガティブを否定したポジティブシンキングは、二元性の思考から抜け出ていないということです。
分離の世界に居続けていることになんで気づかないんだろう?と疑問でした。
ネガティブもポジティブも認めて受け入れることが統合ではないか!と心の中で叫んでいました。
今振り返ると、ネガティブを否定したポジティブシンキングは、わたし自身の意識の反映だったのでしょう。
わたしの外側の世界は、すべてわたしの意識を映し出したものだからです。
わたし自身は、なんでネガティブを否定する?ネガティブを愛するでしょう!と思っていました。
しかし、それは表面のわたしで、奥にあるわたしはネガティブを否定していたんです。
それは今だからわかることで、当時はまだわかりませんでした。
ネガティブを肯定することは至難の技であることに、まだ気がついていませんでした。
あるがままの自分とは
最初に書いたことに戻ります。
あるがまま、ありのままの自分になることが人生の最終目的、と言い切っていいでしょう。
それは、ネガティブな自分を全肯定することです。
あるがまま、ありのままの自分とは、ポジティブな自分もネガティブな自分も、全部分け隔てなく認めて受け入れるということです。
ポジティブな自分を、認めて受け入れるのは簡単だ、と想像がつくでしょう。
問題は、ネガティブな自分を認めて受け入れることです。
できますか?
どんなに醜かろうが、どんなに汚かろうが、どんなにイヤラシかろうが、どんなに惨めであろうが、どんなに孤独であろうが、どんなに最低最悪であろうが、すべての自分のネガティブを認めて受け入れるます。
ここまでは、腑に落とせました。
しかし、本当に認めて受け入れることは、並大抵のことではありません。
わたし達は、ネガティブな自分が許せないんです。
自分と向き合う新たな旅の始まります。
やり甲斐のある壮大な取り組みです。
ポジティブな自分を認めて受け入れるのは簡単だ、と書きました。
もしかすると、そうでもないかもしれません。
ポジティブな自分を認めて受け入れることも、意外にできないかもしれません。
ネガティブとポジティブは、コインの裏表。
ネガティブが受け入れられないとポジティブも受け入れられない、かもしれません。
あるがままに戻る方法
あるがまま、ありのままに「なる」のではなく「戻る」と、わたしは認識しています。
元々の自分に戻るということです。
自己回帰です。
元々は、あるがまま、ありのままの自分でした。
それが、この世で生き伸びていくために、幾重もの盾と矛を身につけたんです。
傷つかないように自分を守るヨロイ、自分が有利になるように攻撃する武器を、幾重にも身にまといました。
あるがまま、ありのままの自分は、まったく見えなくなってしまいました。
でも、いなくなったわけではなく、盾と矛の内側に存在しています。
あるがまま、ありのままの自分と、盾と矛を身につけている自分の、2人の自分が存在するようになりました。
自分の内に起こる葛藤は、この2人の葛藤です。
2人の長い葛藤の末に、最終的に、あるがまま、ありのままの元々の自分に戻りたくなります。
あるがまま、ありのままに戻る方法とは、幾重にも身につけた盾と矛を、1つ1つ脱いでいくことです。
盾と矛から自分を解放したら、あるがまま、ありのままの自分に戻ることを意図します。
意図しないと、盾と矛の自分が戻ってきてしまいます。
この作業を『解放と意図』といい、ニチメコでみんなで取り組み続けています。
みんなで取り組むことで取り組み続けることができるし、集団で取り組む相乗効果は絶大です。
もっと進化成長したくて、それが楽しみで、学び続けています。
一生、日々、学びです。
あるがままはパワフル
あるがまま、ありのままの自分になる方法が、ネガティブをすべて認めて受け入れることでした。
しかし、なかなか困難だと書きました。
ネガティブを受け入れらないのは、弱い自分を受け入れると弱い自分になってしまう、という不安や恐れからではないでしょうか。
人より強くあれ、人より優秀であれと育ったわたし達は、弱い自分、劣る自分が許せなく受け入れられないのでしょう。
ここに大きな落とし穴があります。
もう薄々感じているかもしれません。
実は、あるがまま、ありのままの自分が一番強いです。
パワフルです。
誰にも負けません。
勝ち負けの土俵にいないので、勝ち負け自体がありません。
実は、一番最強の自分です。
と聞いたら、あるがまま、ありのままの自分に戻りたくて、うずうずしてきませんか。
あるがまま、ありのままの自分でいると、いい循環が起こります。
冒頭でお話しした、AさんBさんの話に戻りますが。
自分を押さえ込んでいい顔していても、心の中のモヤモヤが消えるわけではありません。
いつかは、そのモヤモヤは暴れ出します。
しかし、あるがまま、ありのままの自分でいれば、不要な停滞は発生しません。
山に降った水は川に流れ、海に流れ、蒸発して雲になり雨を降らす、このように水は循環しています。
あるがまま、ありのままでいると、人と人との間は、滞りなくスムーズに循環するでしょう。
いいことばかりの、あるがまま、ありのまま!
わたしは、あるがまま、ありのままの自分に戻る取り組みを、これからも続けていきます。
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