ありのままの自分に戻るということは、シンプルにて、究極の希求だと思います。
究極がゆえに、なかなか到達できない地点、と言えるかもしれません。
ありのままの自分に戻るということは、偽りの自分を生きているということになります。
ありのままの自分で、傷ついたり苦しんだり、痛い目にあったのではないでしょうか。
自分を守るための処世術、自分を責めることはありません。
偽りの自分を生きることもまた、同様に、傷つき苦しむのではないかと思います。
ありのままの自分に戻るのは恐い!
でも、偽りの自分はもう嫌だ!
ありのままの自分に戻りたい!
心の訴えを無視できますか?
今までと変わない人生を生きますか?
苦しんでいる今が、ありのままの自分に戻るチャンスかもしれません。
ありのままの自分に戻るということは、この世に生まれてきた理由につながる、壮大なチャレンジです。
角度を変えた、ありのままの自分に戻る、試みです。
ネガティブ大嫌い!
ネガティブな自分。ネガティブな出来事。ネガティブな人。ネガティブな思考・感情。
あなたは「ネガティブ」にどんな反応をしますか?
暗い。重い。不快。閉じる。嫌悪。醜い。許せない。認めない。
ネガティブは、みんな、大嫌い!ではないでしょうか。
結論から言いましょう。
ありのままの自分に戻る1つの方法とは、自分のネガティブを認め、受け入れることです。
ネガティブを持っている自分の側面を認めて受け入れることで、自分が1つに統合されます。つまりそれが、あのままの自分に戻るということです。
言い方を変えると、ありのままの自分に戻れないのは、自分のネガティブを受け入れられないからということになります。自分と自分が葛藤し、分離したままです。
つまり、自分のネガティブを受け入れることができたら、ありのままの自分に戻れるということです。
ありのままの自分とは、本来の自分であり、葛藤のない統合された自分と解釈しています。
実は、一番パワフルな自分です。それを知っているので、ありのままの自分に戻りたいと思うのではないでしょうか。
しかしわたし達は、怒っているとか、嫉妬しているとか、妬んでいるとか、負けたくないとか、憎んでいるとか、恨んでいるとか、悔しいとか、そんなネガティブな自分は認めたくないし、受け入れたくないものです。
自分のネガティブを受け入れるのは、本当に、難しいです。できないと言ってもいいくらいです認めたフリ、受け入れたフリはできても、本当には、受け入れ難いでしょう。
ネガティブな自分を受け入れるということは、究極であり、一番難しいと言っていいでしょう。もちろん、受け入れようと決意すれば、受け入れられます。
受け入れることができたときの恩恵は、計り知れません。
ネガティブが願望を叶える?
また、自分の中にあるネガティブを認めて受け入れることは、この世に生まれてきた理由の1つでもあるんです。
わたし達は、毎瞬毎瞬、こうしたい!という願望が生まれています。小さなことから大きなことまで、です。
そして、叶う願望と叶わない願望があります。願望が叶わないのは、自分の中にあるネガティブが邪魔をするからです。願望が叶うのは、その逆で、ネガティブが出ないからです。
願望を叶えるためには、邪魔するネガティブをなんとかしなくてはなりません。
最初にやることは、自分の中にあるネガティブに氣がつくことです。
氣がついたら、認めて受け入れます。認めて受け入れることで、邪魔をすることをストップさせ、願望を叶える準備が整います。
願望を叶える、前段階です。
ありのままの自分に戻ることも、同じことが言えます。
ありのままの自分に戻る1つの方法は、自分の中にあるネガティブを認めて受け入れることでした。
願望を叶える邪魔をするネガティブを、認めて受け入れることができたら、願望を叶える準備が整った状態です。
そして、願望を叶える方法へと続きますが、そのことについては後ほど触れます。
ネガティブが願望を叶えることを邪魔することができるのは、自分の中にあるネガティブに氣づいていないか、そのネガティブを受け入れていないからです。ネガティブと闘っているときです。
ネガティブを認めて受け入れれば、ネガティブと仲良くなって、協力者なってくれます。
ネガティブを認めて受け入れ、ありのままの自分に戻ると、自由自在に生きられるようになります。自分の心から望む人生を創り出すことができるようになるからです。
ありのままの自分に戻るということは、自分の人生を自分の手の中に取り戻す(自分の人生を自分でコントローできる)、ということです。
本能が拒否する
繰り返しますが、ネガティブを認めて受け入れるのは、困難なことです。
わたし達には、ネガティブを拒否する本能のようなものが、奥深くに根を張っているように思います。それが、ネガティブを受け入れる邪魔をします。
そこで、ネガティブを受け入れたくなるように、心を揉みほぐしてみましょう。わたしの実体験で恐縮ですが、わたしが悩み苦しんでいた頃の話です。
今は亡き、夫の母と同居していたときのことです。わたしは、義母にやさしくできず、そんな自分を責めました。
やさしくしたいと思うのに、どうしてもやさしくできませんでした。そして、やさしくできない自分を責めました。
優しくしたい、でもできない。そんな自分を責める。今度こそ優しくしようと思う。でもやっぱりどうしても優しくできない。この出口のない葛藤を繰り返し、長く苦しみました。
苦しんでいるわたしに、友人がつぶやくように言いました。
「お義母さんを嫌いでもいいんじゃない」「優しくできなくてもいいんじゃない」
どんな言葉より、体の芯に、届きました。
どんな言葉より、慰められ、救われました。
実は、一番聞きたい言葉だったと思います。一番求めていた言葉だったと思います。
当時、そんなふうに言ってくれる人は、誰もいませんでした。
心と体がホッとし緩んだのは束の間、すぐに「好きにならなければいけない」「優しくしなければいけない」に戻りました。
世間の常識に引っぱられてしまうんです。友人の言葉に喜んだ氣持ちは、心の奥に押し込めました。
それでもたまに、「嫌いでもいいんじゃない」「優しくなくていいんじゃない」を、心の奥から引っぱり出しました。
もしかしたら本当にそうかもしれないと思い、もう一度、その言葉で自分を慰めるのです。一瞬、自分にやさしくするのです。
そうやって、苦しい現実から、自分を保っていたと思います。
ハイゼミで知る
その後、わたしは、この世の仕組みを学ぶ機会を得ました。ハイゼミと出会ったんです。
幸せになるにはネガティブを受け入れることが、大きな鍵を握っていることを知りました。
「嫌いでもいいんじゃない」「優しくなくてもいいんじゃない」の言葉に、わたしの心と体は喜び、癒され、救われました。その意味が、わかったんです。
それは、ありのままの自分を認めて受け入れることだったんです。ネガティブを受け入れることだったんです。
心と体がホッとし、緩み喜んだということは、それが正解だよということだったんです。
その時点で、ネガティブを受け入れる恩恵を、わたしの心と体は知っていたんです。
ネガティブを認めて受け入れてもいいんだよ、認めて受け入れなさい、それが答えだよと自分自身に伝えていたんです。
心と体がサインを出していたのに、その当時は、受け取れませんでした。自分の本当の声を聞くことができませんでした。
人を嫌いになってはいけない。優しくしなければいけない。愛のある人、いい人でなければいけない。
という世間一般の価値観に、がんじがらめになっていたんです。
その価値観をわたし自身が選択し、自分で自分を縛り、苦しんでいたということなんですが。
こんな経験は?
例えば、みんなが出来ることを自分だけが出来ないとき、自分は駄目だと落ち込みませんか?
自分を否定し、責めませんか?
そのとき、出来なくてもいいんじゃないと言われたら、救われませんか?
自分を否定しなくていいんです。ありのままの自分を認めて受け入れることができます。
出来ない自分でいいんだ!と、”本当に”認めて受け入れられているのか?は、重要なポイントです。
一瞬は喜んでも、でもやっぱり自分は駄目だ、に戻ってしまいませんか?
それは、ネガティブをまだ本当に認めて受け入れていないということです。
ただ、こういうことが言えます。ネガティブを認めて受け入れる作業は、繰り返しが必要です。
バームクーヘンの層を一枚一枚はがしていくような、繰り返しの作業が必要です。1枚はがすごとに、ネガティブが軽くなっていきます。最後には、そのネガティブは出てこなくなります。
バームクーヘンの繰り返しなのか?認めたフリなのか?の見極めが大切です。
ネガティブが減っていくのと比例して、自分を肯定できるようになり、自信が出てきます。自分を信頼できるようになリ、現実を大きく変えていく力になります。
最期は本当の母のように
義母に優しくできなかったと書きました。
優しくできなかったのは、義母とわたしの間で起きた、過去の嫌な記憶が邪魔をしたからでした。ネガティブが邪魔をしていたんです。
義母が外出しているときは、帰ってきたら今日こそ優しくしようと、心に強く思います。しかし義母が帰ってきた途端、瞬時にネガティブな記憶が甦り、拒否反応が出て絶対!優しくできないのでした。
その状態を打ち破ったのが、義母の介護でした。脳梗塞になって車椅子生活になりました。
介護は、大変だと思ったり、嫌だと思うこともありました。でも、義母との関係を修復できるチャンスを与えられたと思い、ありがたかったです。仲の悪い状態で別れることにならなくて助かった、と思いました。
同居22年。そのうち介護7年半。十分な介護はできなかったですが、関係修復はなんとかぎりぎり合格点をもらったと思っています。最期は、家で、家族で看取ることができました。
義母との関係修復も、結局は、ネガティブを認めて受け入れることが深く関わっています。
義母の許せない嫌なところ(ネガティブなところ)を、認めて受け入れることで、関係がよくなっていきました。
結局、義母の許せない嫌なところは、わたしがネガティブに受け取っていただけのことなんです。そのネガティブを受け入れられたことで、問題でなくなり、わだかまりが溶けました。
ネガティブを認めて受け入れると、見方を変えることができます。そして、現実をポジティブに変える、という魔法を起こすことができます。
介護前、「嫌いでもいい」「優しくなくてもいい」自分を、わたしが本当に認めて受け入れていたら、義母との関係はもっと前に変わっていたでしょう。
まとめ
ありのままの自分に戻る究極の1つの方法とは、自分の中にあるネガティブを認めて受け入れることです。
ネガティブな自分。ネガティブな出来事。ネガティブな人。ネガティブな思考・感情。を、認めて受け入れることです。
「そして、願望を叶える方法へと続きますが、そのことについては後ほど触れます。」と先ほど書きました。認めて受け入れ準備が整ったら、次の行程が待っています。
そのネガティブはもう体験したくないと思ったら、このネガティブが選択しない!と決めます。そのネガティブから自分を解放します(→解放です)。
そして、心から望むことを意図をします。すでにそうなっているとポジティブなイメージすることがポイントです(→意図です)。
そうすると、その望みが叶うという仕組みです。
願望を叶える邪魔をするのは「ネガティブだと書きました。ポジティブなイメージ100%であれば叶う、ということです。
しかし、100%のポジティブでイメージすることは難しく、トレーニングが必要と言っていいと思います。
ありのままの自分に戻るのは、恐いかもしれません。金輪際ありのままの自分でいるもんか!という体験をしたかもしれません。
その場合、恐い、というネガティブを認めて受け入れるといいかもしれません。そして、解放し意図します。
全ての場面において、自分の中から出てきたネガティブに氣づき、認めて受け入れます。そして、解放し意図します。
これを実践し続けると、人生はどんどん変わります。
これを読んでいるということは、ネガティブを認めて受け入れる準備が整っているということです。
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