何かをあきらめようとしたとき、面倒くさいと思ったときに出てくる言葉があります。
「そんなことしてもどうせ……」これですね。こんな言葉が出てきたら、それはあなたの人生を台無しにするウイルスが蔓延する始まりかもしれません。
「どうせ……」の言葉がもたらす、あきらめの序章。
それが面倒くさいという感情に飛び火して次々にその感情をはびこらせ、いずれ「何をするのもおっくう。」ということになる可能性があるのです。
ではその面倒くさいという感情のウイルスをどうすれば消滅させることができるのでしょう?
1.「どうせ」は禁句
そもそも面倒くさいという感情は、命の危険にさらされた時には決して出てこない感情ですよね。そして目の前に差し迫った問題があるときも、そんなことは言っていられません。
つまりあなたにとってやってもやらなくても生死にまで及ばない。どちらかと言うと、それほど逼迫した状態ではないこと。そういう事に対して「面倒くさい」を感じてしまうのだと思います。
ただ、わたしはこの面倒くさいという感情は決して侮れないものと思っています。
つまり私たちが望む「ワクワクの人生」とは真逆にあると思うのです。その言い訳が、「こんなことしてもどうせ。」という言葉に集約されているように思います。
ある水墨画教室でのことです。年配の方が「こんなことして絵をかいても私が死んだらどうせ捨てられるのだし。」とこんな言葉を発しました。「どうせ……」です。
でもでも、ちょっと待ってください。私たちみんな生きてるけど、どうせ死ぬんだしそんなに頑張らなくても……
に繋がる気がしたのです。
では、何のために絵をかいたり、趣味で物を作ったり、仕事を一生懸命やったりしてるの?
何をやってもどうせ……でしょ?
そんな疑問が沸きました。
2.結果ではなく今
しばらくそのことを考えていると昔の友人が自分の描いた絵の写真を送ってくれました。これがその絵です。
いかにも愉しそうに書いている姿が浮かんできます。そして彼女曰く、「絵をかいてる時が愉しい」と。
だよね~、愉しいから書くんだよね。そう私たちが何かをするのは、愉しいから、充実感や達成感を感じるから。
そうポジティブ感情を感じる為に書いたり、作ったり頑張ったりするんです。
つまり、結果はともかくその時のワクワク感を感じる為に書くんです。
となると、その真逆の「どうせ」から始まる「面倒くさい」はそういった感情を感じるチャンスを拒絶してしまうことになると思いませんか?面倒くさいは、次の面倒くさいを呼ぶ。
はい!そう思うと、「どうせ……」は禁句ですね。面倒くさいは、まるで自分の中に広がるウイルスのような気がします。あることに対して、「どうせ……」という言葉で済ませた場合。
どうせ掃除したってまた汚れるんだし、こんなことしてもどうせいつか捨てられるんだし……
とこんな風に……
それは今に心がないからですね。今という瞬間を100%生きているとしたら、「どうせ……」という言葉は絶対に出てこないはずです。
3.人生は今の連続です
楽しい時間の今を繋げた先に結果がある。でも、そんな結果はどうでもいいんです。
結果は人生を終えることですから、とにかく今、今を楽しむために私たちは人生を生きているのですから、結果を評価するのは大事なことではありません。
そして人と比べるのはもっとどうでもいいことなのかもしれません。絵を描くことも、音楽を奏でることも、料理をすることも、掃除をすることも、とにかく今それを楽しんでやる!
それが面倒くさいというウイルスをやっつける抗体なのだと思うのです。
この抗体をたくさん常備して、「面倒くさいどうでもいい人生」を回避するために、今という瞬間を愉しみに変えること。どうせで何をやっても…はなく、「やっぱり!」ですね。
やっぱりやってよかった。やっぱり楽しい。そんなポジティブな言葉で心を満たせるのが心の充実感だと思います。そのためには自分が何を楽しく感じるのか。何をしている時が愉しいのかを知る必要があります。
時には、義務感からやっていたことが愉しめるようになったりするかもしれません。
最初はそんなに乗り気ではなかったのに、やってるうちに愉しくなってきた。そいうこともあるかもしれませんね。
それもまたあなたの人生の愉しみのご縁。ご縁は人ばかりではなく、趣味、旅に出かけた場所、そして今いるあなたのスペース、持ち物。これもみなあなたにご縁があったものばかり。こんな風にご縁を感じると何か愛おしい気がします。
今を生きることに意識を当てると、人生に「どうせ……」という言葉を使うことに抵抗を感じるようになるかもしれません。
私たちは私たちの持つ意識で物事を引き寄せていることは確かなようです。勿論言葉も同じですね。常に発している言葉はそれを引き寄せます。
「どうせ…」はそんなどうせの人生を引き寄せることになるでしょう。
4.ある本とのご縁
私は先日、重度障害者の方が詩を奏でるという本を読みました。
機械に繋がれた体、勿論話すことも立つことも生まれてから一度も経験したことがないでしょう。それでもその思いの詩には感謝の言葉が綴られているのです。そしてずーっと彼女は「人間とは何か」と問い続けてこられたそうです。
彼女は、食べることも歩くこともショッピングも遊園地も学校も一度も経験されたことがないと思います。
その本を読んで以来、私はつくづく思ったのです。「今こうしてあるという事のありがたさを」そして、「人生に、どうせという言葉は無用だということを。」
あなたも、あきらめることから今できることを愉しんでワクワクの人生を歩まれることを心から願っています。